この記事で皆様にお伝えする事は、「札幌市時計台」という建物の歴史的な経緯について。
この建物は実際には「札幌農学校演武場」と呼ばれており、その由来は1876年(明治9年)に遡ります。
これは現在の北海道大学の前身であり、当時は北海道の開拓指導者を育成するために設立されました。
この学校がどういった経緯で時計台へと変わったのか、興味はありませんか?
それは、2代目のホイーラー教頭がニューヨークのハワード時計商会から時計を輸入し、大規模な改装を行ったからです。
当初、ここには時計塔はありませんでしたが、彼のリーダーシップの下でこの建物は時計台として生まれ変わりました。
元々この時計台は「農学校の大時計」と呼ばれていたのですが、具体的な時期は不明です。
一方で、大正時代には作家の有島武郎が執筆した「星座」という作品の中で、「演武場の一角にある時計台」と書いています。
また、大正11年に高階哲夫が「時計台の鐘」という歌を作詞・作曲しています。
こういった経緯から、時計台の名称が大正時代に受け入れられたと考えることができます。
以上が「時計台」の歴史的な背景です。
そして今回はその「時計台」の魅力についてご紹介したいと思いますので、最後までお付き合いください。
どうぞよろしくお願いします。
Contents
札幌での観光にはかかせない時計台とその歴史
札幌の観光スポットと言えば真っ先に思い浮かぶのが時計台。
観光で札幌に訪れた人ならば一度は足を運んだ事があるでしょう。
その姿は明治時代より変わらずそこにあり続け、過去、現在、未来までを結ぶ象徴となっています。
有名だけどいったい何のためにあるのか?
どうしてこのような建築なのか?
さぁ、時計台の魅力に触れていきましょう。
時計台の歴史
時計台は、1961年に有形文化財第1号に指定され、その後1970年には「北海道における明治洋風木造建築の代表的なもの」として国の重要文化財に指定されました。
さらに1996年には「日本の音風景百選」に選ばれ、2009年に「機械遺産」に認定されています。
これらの受賞や認定は、この建物の価値と歴史的重要性を国内外に示していおり、地域の歴史、文化、産業の発展にも大きな影響を与えてきました。
時計台は明治時代の洋風建築の美しさを伝えるだけでなく、ユニークな音風景や時計の機械装置によっても評価されています。
そのため、「日本の音風景百選」や「機械遺産」といった認定を受ける事となりました。
時計台はかつて札幌農学校の敷地内に建てられていましたが、明治36年に農学校が移転した3年後に現在の場所に移されました。
今の場所は、以前の農学校の南西角に位置しています。
建物内のガラス窓から外を見ると、景色が歪んで見える事があります。
これは、明治時代の古いガラスが使用されているからです。
実際、この窓を通して見る風景は、明治時代の人々が見た風景と同じです。
何だかロマンがありますよね。
ガラスから反射する光の模様からも、当時のガラス製造技術の差がわかることがあります。
教会のような雰囲気の時計台
建物は見た目はとても教会っぽいのですが、もちろん教会ではなく、時計の役割を果たしています。
建物内は、明治時代の講堂の雰囲気を再現しており、そのため教会に見えるかもしれません。
中に入ると、天井は木造の合掌造り、そして古風な木製の椅子が並べてあります。
窓から差し込む光が古風な雰囲気を醸し出し、まるで時代を超えてタイムスリップしたかのような気分を味わえます。
私は何度も行った事がありますが、一度も飽きたことはありません。
むしろ、癒されたいと思った時に積極的に行くようにしています。
「時計台での教育」という言葉は、クラーク博士がここで教育活動を行ったことを意味しているわけではありません。
実際にクラーク博士は、時計台が建設される前に日本を離れていましたからね。
建物内部にある時計は、重りの力で動いています。
重りは週に2回、人の手で巻き上げられます。
この時計のメカニズムは、明治14年からずっと動き続けており、一部の消耗品を除いては交換されていません。
観光スポットでも有名
一方で、この時計台は観光地としても非常に有名です。
その美しい建築と歴史的な価値は、地元の人々だけでなく、世界中から訪れる観光客を魅了しています。
これらの観光客の流入は、地域経済に大きく貢献し、周辺の店舗やビジネスの活性化につながっています。
また、1時なら1回、5時なら5回のように、時刻を知らせてくれる音響特性は、市民の生活のリズムを生み出し、地元の人々の日常生活の一部となっています。
時計台の音は、時間の流れを象徴し、私たちに時間の重要性を再認識させてくれます。
これが時計台の特徴です。
時計台はそもそも何のためにある?
時計台は観光スポットとして有名ですので、訪れる人は多いですが、その建物が何のために作られたのかを知る人は多くはありません。
地元の人に時間を知らせるためだけにあるのではないのです。
ではいったい何のために作られたのでしょうか。
認定と役割
1911年から1966年までの55年間に渡り図書室や図書館、そして公会堂として使用され、市民の教育や文化活動の中心になりました。
札幌市民憲章が1963年に制定された際には、「私たちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です」と表現され、この建物は札幌の象徴として大きな愛着を持たれてきました。
時計台は数多くの歴史的建築物として保存・認定され、地域の有名なランドマークやシンボルとなることが一般的です。
時計台の見た目とシンボル
時計台の壁の色は、最初に建てられた時は灰色でしたが、その後に薄いグリーンに変わりました。
そして更に後には濃いグリーンに変わりました。
時計台の壁の色が変わった理由は詳しくは分かりませんが、おそらく何らかの理由や意図があったのでしょう。
時計台には赤い星があります。
この赤い星は17個ありますが、これは開拓使が北極星をモチーフにしたため、時計台にも同じシンボルが使われました。
これにより、時計台は開拓使の存在や活動の象徴となっています。
時計台は都市の顔とも言える象徴的な存在です。
見る人々に時間の経過を感じさせ、歴史の深みを教えてくれます。
その威厳ある姿は人々が集まる場所にもなり、地域のランドマークとしても認識されています。
その存在は私たちの生活と密接に結びついており、一日の流れや時間の経過を告げる役割を果たしています。
時計台は人間の生活を見守り、時間の移り変わりを告げるだけでなく、その存在自体が文化と歴史の象徴です。
時計台へのアクセス
JR札幌駅からは、地下歩行空間を大通方面に進み約10分程度で9番出口に到着します。
また、市営地下鉄、南北線、東西線、東豊線のいずれかで大通駅を目指してください。大通駅からは、市役所側の出口を出て、徒歩約5分の距離です。
まとめ
札幌の時計台は、その歴史的価値、芸術的美しさ、科学的重要性を通じて、その地域の豊かな歴史と文化を今後も引き続き伝えていくでしょう。
このブログでは、私が札幌で絶対に見逃せない名所、時計台について深く探りました。
その位置や、どのように時間とともに変化してきたかを見て感じてほしいからです。
そして、その美しい建築がなぜ教会のように感じられるのか、その理由にも触れました。
その後、時計台がどのようにして保護され、どうやって賞賛されてきたのかを解説しました。
また、時計台がどうやって「日本の音風景百選」や「機械遺産」に認定されたのか、その過程も詳しく見てきました。
最後に、その美しい外観と象徴性がどのように札幌の文化や観光に貢献しているのかをお伝えしましたが、その見た目とシンボルさは、地域の歴史や文化を色濃く反映しています。
結論として、札幌の時計台はその美しさと深い歴史を通じて、人々にとってとても大切な存在であることがわかりました。
そして、その存在は札幌観光のハイライトともなっています。
これからも時計台はその魅力を発信し続け、季節に関係なく訪れる人々を喜ばせ続けることでしょう。
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